私事で恐縮ですが、このたび20年余り務めたチャイルドラインとちぎの理事を退任しました。長かった20年、でもあっという間の20年だったような気がします。なぜ私が理事(当時は運営委員)をやるようになったか、それは初代理事長(当時は運営委員長)にすすめられたからでした。
当時(発足1年目)のチャイルドラインとちぎは、軌道に乗ったほぼ順風満帆の現在とは少し事情が違っていました。当時1期生として養成講座を経て受け手になった仲間は60人以上いましたが、日本のチャイルドラインは始まって間もない時期で、子どもたちからかかってくる電話はとても少なかったです。アツイ思いとは裏腹のやりがいのなさに、「やめようかな」という受け手さんの声もチラホラ聞かれるようになりました。
私はといえば、本拠地の市民ではなく子どもはまだ小学生、パート程度ですが仕事もしていました。だからでしょうか、あるとき、自分の知らないところで、「Irisさんは続かないでしょ」「どうせすぐやめるよ」と言われていることを知り、ショックを受けました。逆に「遠いし子どもも小さいのにありがとう。よく受け手になってくれたよね」と温かい声をかけてくれる人もいて、どんなに励まされたことか。
もちろん私は受け手をやめる気などありませんでしたが、今後仕事が増える予定がありました。仕事と活動日が重なったらどうしよう、でも噂が独り歩きしてしまって”やめる人認定”されたら困る。そこで、初代理事長に相談しました。すると「それなら理事をやってよ。そうすればお仕事で受け手をお休みしても、気兼ねなくここにいられるわよ。」という声をかけていただいたのです。あくまで当時の体制でのことです。
私:理事ってどんなことをやるんですか?
初代理事長:部活でいえば、マネージャーみたいなものよ。選手(チャイルドラインなら”受け手”)だけでは、部活は成り立たないでしょ。縁の下の力持ちも必要なのよ。
私:ああ、それなら考えてみます。
これが始まりでした。今から思えば、うまく乗せられた気がしないでもないですが(笑)。
さて、今年の春の選抜高校野球大会(いわゆる“甲子園”)開会式を、私はテレビで見ていました。4年ぶりとなった出場校全校参加の入場行進。各校の先頭でプラカードを持つのは、夏の甲子園でおなじみの白い帽子、紺のジャンパースカートの市立西宮高校の女生徒ではなく、それぞれ異なった制服を着た男女の高校生でした。
彼らは各校の、野球部マネージャーとのことでした。影の存在とか、縁の下の力持ちといわれることの多いマネージャー。でも彼らも選手と同じ、大切なチームのメンバーです。雨上がりの空の下、甲子園のグラウンドの表舞台を堂々と入場行進をする彼らの姿を見て、私はとてもうれしくなりました。(このような構成を考えた主催者もすごい!)
わが栃木県代表の作新学院が、2回戦で明日の第3試合、香川の英明高校と対戦します。もちろん観戦します、テレビで。
(ハンドルネーム Iris)