勝手姉妹郷

最近出た雑誌で「久しぶりの海外は、まず台湾から始めよう」という特集が組まれていました。エキゾチックな旅行気分と、親戚の家のような居心地のよさの両方を味わえる台湾が、このタイミングに最適な旅先というのもうなずけます。

 台北にほど近い桃園市の大渓(DAXIダーシー)という街をご存じでしょうか。木工業と水運で古くから栄えた町ですが、伝統を大切にする姿勢も、往時の町並みが残る「老街」のノスタルジックな光景も、毎朝開かれる朝市のエネルギッシュなにぎわいも、現代の生活にセンス良く溶け込んでいて、益子との共通点や見習いたい点もたくさん感じます。

 昨秋、縁あって大渓と益子は「勝手姉妹郷」という民間の交流宣言を締結。そしてこのたび、大渓のまちづくりの一翼を担うC houseの皆さんを、益子の地域コミュニティ・ヒジノワがお迎えすることになりました。

題して「フレンドシップクラフトウイーク」。大渓の皆さんとともに益子参考館を館長・濱田友緒氏らのレクチャーを受けながら見学できる参考館ツアー(5月20日)をはじめ、starnet ZONEを会場に行われるC house代表・陳美霞さん講演会「大渓に学ぶ、風土に根ざした創造性あふれる古建築と木藝のまちづくり」(通訳付・5月21日)や、大渓の観光案内やC houseの服飾ブランド「茶杉」等を販売するDAXI STORE@益子の開設(5月12日~22日)などを計画しています。

 「なになに?」と思った方。掲載のフライヤーほか、ヒジノワCafé&SpaceのWebやSNSをのぞいてみてくださーい。(ハンドルネーム・ちゃわん)

黄砂で思い出す環境問題

先日、中国大陸から飛来した黄砂が、栃木県内でも観測されました。前日のニュースで、黄砂の粒子は微細で視界や体調が悪くなることがあり、洗濯物や寝具に付着すると落とすのがたいへんなため屋外には干さないように、と注意を促していました。

学校では(立地にもよるのでしょうが)、校舎に黄砂が入らないように、気温が上がっても教室の窓は開けないようにしていたところもあったとか。ちょっと前まではコロナウィルス感染予防のため、寒い時期でも窓を開けて換気をしていたというのに。いやはや…。

そういえば、2011年の東日本大震災で福島第一原発の事故で放射能が降った時も、放射能汚染から身を守るために、室内用の物干し台が飛ぶように売れ、子どもたちは外で遊べなくなり、屋内プレイパークなるものが大賑わいだったということでした。

環境の影響は健康問題につながるため、簡単に見過ごすことはできません。

今となっては昔の話になりますが、戦後、いわゆる高度経済成長期に大きな問題となったのが公害でした。Wikipediaによると、公害とは経済合理性の追求を目的とした社会・経済活動によって、環境が破壊されることにより生じる社会的災害である。 とのことです。

そのひとつである大気汚染に関しては、たとえば、“東京は空気が汚い、こんな空気を吸っていると気管支をやられ、喘息になってしまう”と、さんざんなことを言われていました。そして、現代の日本ではめったに聞かなくなった光化学スモッグなるものが、東京など都市部ではよく発生していました。発生すると学校では、健康に害を及ぼすということで、子どもたちは休み時間や放課後など、校庭で遊べなくなりました。つまり、外で遊ぶという子どもたちの楽しみは、奪われてしまったわけです。

公害は国民の日常生活を脅かす大きな原因であったため、公害対策基本法、環境法が制定され、政府も民間企業も一般家庭も対策と環境改善のために努力をしてきました。そのかいあって、現在では当時にくらべれば、公害はずいぶんおさまってきています。良いことです。まだまだ…の部分はあるでしょうけれど。

現在はSDGsの時代です。統一地方選挙の今日、世の中が半世紀前に後戻りしませんように、子どもたちが安心して遊べる環境が守られますように、と願います。

(Iris)

新たなスタートに寄せて

2001年2月、「子どもたちの声をうけとめる」その想いだけで産声を上げた「チャイルドラインとちぎ」は、お陰様で丸22年を迎えることができました。その間多くの皆さまにこの活動をご理解・ご支援頂きましたこと、改めてこの場を借りて御礼申し上げます。

今では認定NPO法人格を取得してから10年経過し、社会的責任を負いながらも変わりなく「子どもたちの声をうけとめ」更にその声を「社会に発信する」というミッションを果たすべく、地道に活動して参りました。

そしてこの度、松江比佐子前理事長のバトンを受け継ぎ理事長職をお預かりすることとなりました私、福本佳之と申します。本来であればご支援頂いている皆様お一人お一人に直接ご挨拶するところではありますが、まずはこの場を借りてご挨拶申し上げます。どうぞよろしくお願いいたします。

僭越ながら私の事を少しお話しさせてください。私は1975年北海道根室市の出身です。

当時の田舎町では一般的でありましたが、大学進学を志すと高校生から親元を離れ一人暮らしを始めます。現代ほどに情報手段が発達していなかった当時、15歳の少年が親元を離れることはまさに「自立」そのもの。友人は出来たとしても簡単に親を頼れなかった私がたどり着いたのが、親でも先生でもない第3の「大人」でした。

 下宿先のおばさん、ラーメン屋のおばちゃん、床屋のオヤジ、そんな何気ない日常で出逢う「大人」が、私にとっては親代わりの大切な話し相手でした。恐らく、いや間違いなく私にとってのチャイルドラインの「受け手」がそこに存在していたのです。

今頃になって気づく「大人」の有難さ。私たちチャイルドラインとちぎも、子どもたちの「今」に寄り添いつつ、彼らの「未来」を応援する、そんな存在であり続けたいと想っております。

2023年度は「こども家庭庁」が設置され、時の政府は「異次元の少子化対策」を打ち出しています。政府がわざわざ宣言するということは「対策が遅れている」という裏返しでもあります。

チャイルドラインとちぎは、子どもの権利条約の理念のもと、「子どもと大人と対等な存在であり、社会をつくるパートナー」という子ども観を大切に、「子どもは社会の鏡であり、宝である」ことが当たり前となる社会の実現に向けて活動していきます。今後ともご理解ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

認定特定非営利活動法人 チャイルドラインとちぎ
理事長 福本佳之

春は旅立ちの季節

二男が、今春から進学のために一人暮らしを始めた。

人と話すのが苦手で、親としては心配がつきない。引っ越し後一週間たって、泊まりに行くと…ソファの梱包は解かれないまま、組み立て家具は途中までで頓挫、そしてwifiは電源は入っているが繋がらない状態(涙)そして、引っ越しのゴミの袋が、ゴミを出す日に寝坊したらしく、幅をきかせている。

ソファを出し、家具を組み立て、wifiをつなげ、ゴミを車に積んで、一つ一つ問題をクリアして意気揚々と栃木に帰ってきた。

そして、新高校一年の三男に「心配だ、これはちょくちょく行って様子を見てこないと」と話したら、三男が「お母さん、もしかして一ヶ月に一回行くつもり?お兄ちゃんのことは、もう友達に任せましょう」と言われてしまった。

友達とは、同じ大学に進学した高校の同級生のことだ。

本当にびっくりした。でも、三男の言葉で目が覚めた。二男のお世話をしている時、充実してやり甲斐があった。大変、大変、と言いながらも楽しかった。親としてやってあげることができる喜び。まだまだ世話が焼ける、と。

三男は、「お母さん、子離れしなよ。そんなことしてても、お兄ちゃんのためにならないよ亅と気づかせてくれた気がする。

三男の言葉がなければ、ズルズルと二男の自立する機会を奪っていたような気がする。三男の言葉で、二男の人生、主導権を二男に渡そう、二男の生きる力を信じよう、と覚悟ができたような気がする。

(ハンドルネーム きりさん)